ゴー宣DOJO

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トッキー
2020.5.7 14:32ゴー宣道場

コロナと人間であること

門下生論客・ケロ坊さんの
ご意見紹介です!

 


 

立憲的改憲シリーズのときに、「日本人は近代国家の国民になれていない。民衆だ」と指摘されていましたが、
その元凶について最近は、「日本人は周りの空気を読むところが大きいから」なんてものじゃなく、空気のみで動いているのでは?と疑うようになっています。
震災時の規範意識や、普段の公共心というのも、ただひたすら村人的に周りの空気を読んでやっていただけだったのでは…。
そう思ってしまうほど、今公共心が感じられません。

空気読みのムラの民衆を軽い言葉で説明すると、共感を求める、同じノリを求める、言わなくてもわかってくれて当たり前という意識がある、
異論を言うと「何あいつ?空気読めないよね」みたいなことになる、ということだと思います。

そんなムラの群衆から発せられている言葉の数々、
「愛する人を守るために、未来のために今は我慢」
「今の死因ナンバー1はコロナだ(完全なるデマ)」
「学校を再開させるなんてとんでもないザマス!」
を聞いて、ふと日本人て日々何人死んでるんだろうと気になって調べてみたら、厚生労働省がこんな表を出していました。
https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/16-3/dl/02.pdf

これによると、日本人は1日に3500人死んでいってるんですね(がんや心疾患や老衰で2000人)。
仮に今日のコロナ騒動が100日目とすると、もう35万人が普通にコロナ以外で逝っています。
去年の令和元年1年間の日本人の死者数は137万6000人だそうです。
コロナのトータルの死者数520人が物凄く危ないことだと思ってる人を鼻で笑うほどの、文字通り桁違いの数の人が死んでいってます。
当然コロナ脳の人たちは137万人のことなんて知らないでしょうし、考えたこともないでしょうし、興味を持ったことすらないでしょう。

それを考えると、騒いでる人たちには、「死」など絶対に身近にあってはいけないという感覚があるんだと思います。
ゴー宣道場の門下生としては、「潔癖王国」(2016年6月 第55回ゴー宣道場)という言葉が思い浮かびます。

また、「個人は歴史のタテ軸と社会のヨコ軸で成り立っている」という『戦争論』の言葉を僕は胸に刻んでいますが、
「社会のヨコ軸」は言い換えれば、組織や家族や友人などの他者との関係の中で、協力したり交流したり、一定の役割をこなすことで人は存在しているということですし、
仕事という経験や様々な習慣を通じて、常識を体得しています(なのでテレワークでは新人の教育がいろんな意味で難しいことが想像されます)。

そう考えていくと、自粛推進派はヒトがあらゆる関係性から切り離されても人間として成立するとカンチガイしているから、それを言えるんだろうと思います。
ですが道場にもある「道」という字は、人が往来する公共の場のことなのだから、「密です」とか言って人の集まりを分解したら駄目ですし、オンラインだけでも「公」にはなりません。
江戸時代の儒学者の荻生徂徠は「公私」を定義して、「公」とは人々がいるところのこと(他者のため)、「私」は一人でいること(自分のため)だと説明しています。
『よしりん辻説法』でも、あらゆる関係性から切り離された異常者が殺人鬼になる、特に一神教でない日本人は縁が切れると危ないと指摘する回がありました。

さらに、仕事がお金を稼ぐことでしかないと思っているという問題もありそうです。
ネットにはお金を稼ぐのは汚いことだと思っている訳のわからない人たちがいます。
匿名掲示板では嫌儲という言葉があり、おぼっちゃまくんのパチンコの時に騒いだり、今も飽きずにパチンコ店を目の敵にしてるのもその系統の奴らでしょう。
そういう意味でニートが問題外なのは当然ですが、社会人であっても仕事を能動的にやったことがなく、受動的に言われたことだけやってきた、
端的に言ってしまえばプロではない“ニート的心性な人”。消費者根性全開の人とも言えますが、
そういう人は会社でも国家でも、無限にお金が出てくると思ってしまうことが想像されます。
甘やかされた子供が親からいくらでもお金が出てくると思うように。

また、そこまで酷くはない身近な人でも、「経済が止まると人が死ぬ」という超基本がわかってない人は多かったです。
僕としては、TPPの頃(もう9年前)に中野剛志が「改革というのは失敗したら人が失業したり死んだりする」と言ってた言葉を思い起こしました。
ゴー宣のために買ってるSPAはよく貧困特集をしてくれるので、仕事に行き詰まったらどうなるか想像しやすくて良いです(何よりSKEのコーナーもあるのが最高です)。

「一身独立して、一国独立す」は、一見「個人(民)も国も大事だよ」にも読めますが、
一身独立は手段であって、一国独立が目的と読むのが普通です。
そして人が一身独立をするためには、もちろん仕事が必要です。

自粛については、『よしりんにきいてみよっ』で、ベーシックインカムの話題になった時に、
「何もしないでいるってめちゃくちゃ苦しいよ」という話になったことも思い出します。
特に僕は独身ですし、ほぼ仕事でしか世の中と繋がっていないので、余計そう感じます。

結論としては、生の実感、やりがい、生きがいとは何なのか?ということを考えたことがなく、
ひいては小林先生が指摘されるように、自分が死ぬことをちゃんと考えたこともないから、
現場の実感や、現場で得た知見、現場の尊さ等々をあっさり手放して、つまりは自分の仕事・経済活動を軽視して、
村人根性全開で周りの空気を読みまくり、薄っぺらいヒューマニズムに乗っかり、
「今は未来のためにもStayHomeが大切だ」てなことを言ってしまったり、そこまで行かずとも闘おうとはしない人が多いんじゃないか。
そんなことを思いました。

『戦争論』の帯の名コピーに照らすなら、「コロナと生きますか?それとも人間やめますか?」ですね。

 


 

「日本人は近代国家の国民になれるのか?」どころか、
「日本人は人間になれるのか?」と問わなければ
ならないほど劣化が進んでしまっているということを
露わにしてしまったのが、この新コロ騒動なのかもしれません。

トッキー

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